ふと、足元から「キュッ」というかすかな声がした。
フクロウだった。
ツタに絡まり、羽をばたつかせていた。
「……きみも、ここに迷いこんだの?」
小さな体を包むように抱き寄せ、ツタを丁寧に断つ。
羽を撫で、怪我がないか確かめると、フクロウはふわりと枝に飛び乗った。
そして、首をかしげ、イオを見つめる。
──くるりと背を向ける。
「……ついてこいって、こと?」
迷わず、イオはその後を追った。
枝から枝へ、葉の影に溶けながらフクロウが滑るように進んでいく。
まるで、どこか“帰るべき場所”を知っているかのように。
そして──たどり着いた。
木々に囲まれた空間。
その中央に、突如として現れた屋敷。
「あれは…」
和とも洋ともつかず、古くもなく、新しくもない。
“時代”すらもねじれた、不自然な日本家屋。
まるで、異世界にぽつんと落ちていたような──
(誰が……なんで……)
空気が、変わった。
景色は同じはずなのに、世界の“折り目”に触れたような感覚。
ゆっくりと、腰のナイフに手を添える。
(行こう)
静かに、警戒しながら。
だが、足取りは迷わず。
イオは、屋敷の前に立った。
扉は、古びているようで、まるで昨日、誰かが丁寧に磨き上げたように艶を帯びていた。
金属の取っ手には傷ひとつなく、木材の継ぎ目も一切の歪みを見せない。
湿気も、軋みも、朽ちの気配もない。
けれどそれが逆に──不気味だった。
時間の流れが、この場所だけ妙に“滑らか”すぎる。
まるで、時間そのものを削ぎ落とした空間のように。
イオが手をかけると、何の抵抗もなく、静かに、まるで息をひそめるように開いた。
「……誰か、いるの?」
返事はなかった。
けれど、その沈黙はあまりに整いすぎていて、どこか“作為的”だった。
まるで、「いるけど、いないよ」とでもささやくように。
あるいは、見えない存在に見透かされているような──不穏な空白が、背筋を冷やしていく。
イオは、慎重に足を踏み入れる。
屋敷の中は、妙に整っていた。
埃ひとつない廊下。
並べられた家具の角度は幾何学的に完璧で、まるで人の手ではなく“数式”で設計されたかのようだった。
それなのに、生活の匂いがしない。
食器の音も、洗剤の残り香も、炊きたてのご飯の湯気も──何一つ存在しない。
人の気配だけが、うっすらと残っている。
だがその“人”は、まだこの世界にいるのだろうか?
(ここ……誰かが住んでた?)
──いや、今も、住んでいるのかもしれない。
床の木目は、まるで時間すらも跳ね返すように磨かれていた。
歩くたび、足音が吸い込まれるように消えていく。
壁にかかる時計は、現在時刻を刻んでいた。
秒針も動いている。
しかしまるでこの屋敷そのものが、“現実”という枠組みから少しだけ外れていると主張しているように思えた。
イオは廊下を抜け、奥の部屋へと進んでいく。
ナイフに添えた指先は緊張を保っているが、なぜか“使ってはいけない”ような気がしていた。
この空間に刃を振るえば、それだけで“何か”が壊れてしまいそうな、繊細で──完璧な静寂が漂っている。
やがて、空気が微かに変わった。
湿度でも、温度でもなく。
ただ、そこに在る“気配”だけが、肌の上をかすめていく。
そして、目に入る研究機材。
それはイオが見たことのない形の計測装置。
稼働を終えたばかりのようなわずかな熱が、まだ筐体の奥に残っている。
古びてもおらず、近未来でもない。
イオは研究機材に詳しくはなかったがそれでもわかる
明らかに“今”の技術では作り得ない代物だった。
(……誰が、何のために?)
視界の端。
机の上に、紙が一枚、無造作に置かれていた。
『あれを託します』
イオはそれを見つめ、無意識に息を止めていた。
(“あれ”……?)
“何か”が、ここにいた?
今は、もう──いないのか?
それとも、まだどこかに“潜んでいる”のか?
イオが思考を巡らす。
──そのときだった。
背後で「カツン」と音がした。
硬質な床を打つ音。
ただの足音ではない。
異質で、規則的で、どこか無機質な響き。
空気が、一気に張り詰めた。
体温が数度、下がったような錯覚。
微かに震える指先を抑えながら、イオは振り返ることなく気配を読む。
(誰か来る……)
呼吸が浅くなる。
けれど、逃げない。
自分がここに来たのは、異常を確かめるため。
そして──その異常は、今、目の前に現れようとしていた。
ゆっくりと、イオは振り返る。
そこに、誰かが立っていた。
白衣。刀。
白銀の髪。
そして、青い瞳に揺れるのは、異常なまでに研ぎ澄まされた知性。
一瞬で、ただの人間ではないと分かる。
“視られている”と、全身が理解する。
(この人……ただ者じゃない……)
単なる不法侵入者──そう断じるような目ではなかった。
興味。観察。あるいは、好奇。
そんな“分析する者”の目をしていた。
鋭く、静かに、互いの視線がぶつかる。
まるで、似た者同士が互いを確認し合うように──
