「うそ」
イオの声が、鋭いナイフのように空間を切り裂いた。
それは反射に近かった。間髪入れず、即答のように放たれた一言。
ろまんの心臓が、小さく跳ねた。
「……」
返す言葉が喉の奥に引っかかり、息が浅くなる。
反論すれば、より深く切り込まれる。黙れば、認めることになる。
「嘘ついたね、今」
その視線は、ただまっすぐ。疑いも、探りも、何もない。
ただ“見えている”という、静かな確信。
瞬間、室温が数度下がったような錯覚に包まれた。
イオから放たれるのは、殺気ではない。
だが、それよりも質が悪い“逃げ場のなさ”が、皮膚に貼り付いて離れない。
(……これは、ただの勘じゃない)
ろまんは即座に分析を開始した。
彼女自身、嘘を見抜く術は心得ている。
微表情、呼吸のリズム、声の揺らぎ、視線の細かなズレ──
それらを観察して、真偽を論理的に組み立てる。
それがわかっているからこそ、自身が嘘を付く場合、その逆を即座に実行し完璧なまでの嘘が再現ができる。
常人ではろまんの嘘を見抜くことは不可能なのだ。
だが、イオのそれは違った。
(推論じゃない。直感とも違う。……これは、構造が違う)
まるで感覚そのものが、異常進化を遂げているかのような精度。
“能力”などという言葉では到底表現しきれない。
あえて言うなら、それは──『視る』という名の侵入。
脳の奥を、感情の中枢を、直接覗かれているような──そんな錯覚。
「……君は、一体何者なん…?」
声に出す頃には、ろまんの平衡はすでに揺らいでいた。
イオはふっと笑う。
その笑みには、無邪気さと無慈悲さが、背中合わせに並んでいた。
「ぼく、嘘は嫌いなんだ」
ろまんの問いに答えず、軽く言葉を投げる。
その無造作さが、逆に凶器のように鋭い。
「ねぇ、何を隠してるの? “あれ”はもう、見つかってるのよね?」
その口ぶりは、すでに答えを知っている者の言い回しだった。
形式として投げかけた言葉。 逃げ場のない、誘導尋問。
ろまんは、刀から手を放しゆっくりと手を挙げた。そうするしかなかった。
だが、指先がかすかに震える。
理性は保っている──だが、それはもはやぎりぎりの均衡だった。
「……君が言う“あれ”ってもんが、わからんから。答えようがないね」
精一杯、穏やかに振る舞いながらも、声の奥に混じる苛立ちと焦燥は隠しきれなかった。
「そうだね。ぼくも、よくわかってない。このメモの事もよくわからないし」
イオは、わざと軽く応じた。
けれど、その表情は曖昧なまま、ふとろまんの視線をじっと見返す。
(……本当に、わかっていないのか?)
ろまんの頭に、そんな疑念がよぎる。
この少女は“あれ”を完全に理解していない──だが、その本質の一部には、もう触れている。
その無意識の領域が、ろまんにとって最も恐ろしかった。
情報も、理屈も、経験も超えて──本能的に“接触”している者。
「だけど──君のような子が、ここに現れる理由は……もっと気になるね」
ろまんがそう告げると、イオの目がかすかに細まった。
それはまるで、やっと“ろまん自身”に興味を抱いたかのような、初めての反応だった。
その隙を、ろまんは見逃さなかった。
ほんのわずか、イオの声音が揺れた。
それは、答えに迷ったのではない──“言葉を選んだ者”にだけ現れる沈黙だった。
「私からも質問。──なんで、君はここに来たん?」
その問いは、さきほどよりも静かで、冷たい響きを含んでいた。
まるで検体を前にした研究者のように、彼女の脳内ではいくつもの仮説が並列処理されていた。
論理と直感が交互に入れ替わりながら、不要な要素がひとつずつ、容赦なく棄却されていく。
イオはすぐには答えなかった。
唇に落ちる影が、わずかに震える。
その輪郭は一瞬だけ、幼さを宿していたが──すぐに消えた。
「……ぼくは、命令でここにやってきた。それだけ」
静かな口調。その奥に、かすかな尖りが滲む。
苛立ちのような、あるいは抵抗のような。だが、感情を隠そうともしないのが彼女らしかった。
「ということは──ここには“調査”に来た、ということやろか?」
ろまんの問いに、イオはわずかに眉をひそめた。
「あなたに、そこまで言う理由ないでしょ」
吐き捨てるような口調。
その態度には、まるで聞かれたくない質問に踏み込まれた子供のような、拗ねた色すらにじんでいた。
ろまんはその変化を、余すところなく観察していた。
無邪気な仮面をかぶった少女──だが、内側には緊張が満ちている。
「少し感情的になったね」
軽く微笑みながら、わざとらしく返す。
イオはムッとしたように眉を吊り上げ、わずかに頬を膨らませた。
腕を組み、舌打ちでもしそうな表情を浮かべる。
明らかに不貞腐れた態度だった。
「…ぼくの邪魔をしないでくれたら、何もしないよ」
その言葉には奇妙な緊張があった。
穏やかに聞こえるが、内側には「やらなければいけないことがある」という固い芯がある。
任務にしては温度が低すぎ、私情にしては整いすぎていた。
「そう」
ろまんは頷くふりをしながら、視線だけでイオの横顔をなぞった。
頬の奥に、ぴんと張り詰めた筋。
肩甲骨あたりの小さな震え。
それらは、ろまんの観察眼には、はっきりと“焦り”と映っていた。
(やはり。…どこか、切羽詰まっている)
命令に従っているだけなら、もっと冷徹でいられるはずだ。
この不自然な揺れと防衛は、“その奥”に別の動機があることを示していた。
「君はさ」
ろまんはトーンを落とし、少しだけ柔らかな声を差し出した。
探るのでも、試すのでもない。
ほんの少し、心に手を伸ばすような声音で。
「焦っているように見えるよ。……何かに、追われてるんやない?」
イオのまつげが、ぴくりと動いた。
そのわずかな反応を、ろまんは逃さない。
「別に」
乾いた声が返るが、その奥の揺れは隠しきれなかった。
「そうかな? でも、私にはそう見える」
ろまんはじっと、イオの瞳を見つめた。
その奥にある何かに、そっと触れるように。
「君の“目”はね。何かを求める目やないね……何かを“取り戻したい”者の目にみえる」
その一言が落ちた瞬間、イオの肩がわずかに震えた。
その反応は、鋭く──そして、どこか痛みを帯びていた。
「……分析好きなんだね。さすが研究者」
イオは皮肉めいた言葉を投げたあと、すっと表情を消した。
だがその声の奥に、ひとつの感情が混じっていた。
──静かな怒り。
決して爆発はしない。
けれど、その怒りは内側から熱を持って、確実にろまんに“警告”を与えていた。
「だけど、気軽に人を詮索しない方がいいよ、ウザいから」
その声音には冷えた刃が潜んでいた。
触れてはいけないものに触れられた者の、静かな拒絶。
(……触れてはいけないものに、触れてしまったか)
ろまんはわずかに眉を動かし、思考を一時的に凍らせた。
けれどその沈黙を、すぐに別の提案で埋めた。
「……交渉といかん?」
唐突な申し出に、イオの目がわずかに細まる。
「私自身、人間には興味がないんよ。……やけど、君だけは少し違った」
ろまんの声は、静かに響く。
研究者としての冷静な論理に、微かに“熱”が宿り始めていた。
じっさい師以外でこういったシチュエーションでコミュニケーションを取れる者と出会った事もない。絶好の機会でもある。
「なんで君がこの場所を知ったんか…君の、その“力”と存在の異質さ。目的……そのすべてに、少しだけ興味がある」
イオは答えない。
だが、わずかに動いた口元が、何かを言いかけたことを示していた。
すぐにその言葉は飲み込まれ、また沈黙が落ちる。
「──教えてくれたら、君の調査にも協力しよう」
ろまんの声は静かだった。
まっすぐに、そしてあまりに正確だった。
それは、取引の言葉であり──研究者としての飢えを隠しきれない一手でもあった。
その真意に気づいたのか、イオはふっと笑う。
「……やっぱり、あなた──変だね」
場の空気は、今はろまんの手の中にあった。
彼女の言葉ひとつ、視線の揺れひとつが、この空間の温度を支配していた。
だがその裏で、彼女自身もまた静かな恐怖を抱いていた。
──間違えば、殺される。
この少女──否、“化け物”は、そういう力を持っている。
ほんの少し言葉を選び損ねれば、次の瞬間には喉元にナイフが突き立てられてもおかしくない。
(……研究どころじゃないな。だが、失うのはもっと嫌だ)
興味の対象を失うこと。それは、ろまんにとって“生きる目的の欠損”に等しい。
一方のイオもまた、ろまんを観察していた。
この奇妙な研究者は、敵ではない──少なくとも即座に排除する対象ではない。
イオが本気でやろうと思えばすぐにこの場を支配できることも理解できた。相手が刀を振ってきてもその前に制圧できる。また嘘が見抜けるイオにとって心理戦は無意味で、それを知っての事かこの研究者は真っ直ぐに向かってくる。
ならば。
(すこしは付き合ってやってもいいかな……)
理由は単純だった。
調査に来たはずなのに、まだ手がかりは乏しい。この異常ともいえる場所 そして原因
この研究者は“それ”に近づいている可能性がある。楽して調査ができるなら利用しない手はない、それが最善だ。
「……ぼくがここを知ったのはね」